理容師(床屋)の歴史
どうも二代目店長ノリです。
ここでは「そもそも床屋さんってなんで存在してるの?」という原点的な部分から、「理容の歴史」についてのまとめを書いてみたいと思います。
まず大きな視点、世界的な歴史で見てみると今から5000年ほど遡り、古代エジプトで僧侶や薬学者が行なう「神聖な行い」が始まりだとされています。
この頃、「髪には邪気(悪いエネルギー)が宿る」とも言われ、「髪を切る」という事はイコールで「邪気を払う」という意味になり、それで「神聖な行い」とされていたと考えられます。
この考え方は現代にも残っていて、例えば「幽霊」などは「髪の長い女性」が象徴とされていたり、よく失恋をすると女性が髪をバッサリ切るというのは「これまでの想い(未練)を断ち切る」という意味にも繋がります。
こういう話は諸説あっていろいろ考えられますが、単純に理美容室で「髪をカットして気持ちもスッキリする」というのは心身ともにいい事だと思います。
理容師の歴史
そして理容業として認知されたのは中世ヨーロッパ時代に入ってからで、当時の理容師は外科医も兼ねていたため「理容外科医」として扱われていました。
外科医と理容師が区別されるようになったのは17世紀のルイ14世の時代からと言われています。
日本では昔、男女ともに髪を伸ばして束ねるという俗に言う「髪結い」の文化があったので、髪を切るヘアカットが職業として誕生したのは明治時代の「断髪令」が出されてからでした。
男性はそれまで髪を結ったスタイル、いわゆる「ちょんまげ」が一般的でしたが、髪型を自由にできる断髪令が出されたことで外国文化の影響を受けてヘアカットが定着し、少しずつ現代のヘアスタイルへと様変わりしてきました。
また、日本での初めての美容学校は大正時代に入ってから誕生し、髪結いの技術も引き継ぎながら現在のエステのような施術についても学ぶことができました。
その後、同様な学校が次々と設立されるようになり、日本でのヘアカットをはじめとした理美容の技術は飛躍的に向上していくことになります。
あのくるくる回る「サインポール」」の由来
床屋、理容室と聞くとイメージするのが、赤・青・白の3色が斜めにくるくる回る「サインポール」です。
このサインポールの由来を見ていくと、「理容外科医」がヘアカットを行なっていた中世ヨーロッパまで遡り、当時の外科の治療法のひとつ「瀉血(しゃけつ)」の手術で使用されていた赤い棒からきています。
「Barber-surgeon’s pole(理容外科医の棒)」と呼ばれていたその赤い棒は手術後に、白い包帯と一緒にお店の軒先に干していましたが、風が吹いた際に包帯が赤い棒に巻きつき、その姿がサインポールの原形になっていると言われています。
その後Barber’s pole(理容室の棒)と呼ばれるようになり、17世紀以降に外科医と理容師が区別されるようになった際に理容師は青、外科医は赤白の色分けがされ、理容室の看板として使われるサインポールは赤・白・青の3色になったという訳です。
サインポールの由来については諸説ありますが、「瀉血(しゃけつ)」からきているという説が最も有力だと言われています。
以上二代目店長ノリでした。
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